06/03/24-21:05
ヤングジャンプ16号 富野由悠季インタビュー:シャア専用ブログ
――「Ζ」三部作の新訳が終えられて今の心境はいかがですか。
富野 テレビ版の「Ζ」に関しては、かなり自分のフラストレーションを吐き出したという気分がありました。
けれど、振り返ってみると決してそれだけではなくて、こういう(新訳の)仕事をしえるだけのベースになっていた事が分かったんです。
テレビ屋の仕事師としてフィクションの劇を作るということを意識して、物語の全編を通してみた時に、公共の媒体にかける為の最低限のことはできていた、ということが確認できて嬉しく思いました。
――今回は、カミーユが正常なまま、というラストに一番衝撃を受けたんですが、これは最初から構想されていたのですか?
富野 もちろんです。その狙い目をやっていいという勘がなければ、この仕事は受けませんでした。実際、3〜4年前にも映画化の話があったんですが、その時は勘が働かなくて結局やらなかったという事もありました。
――U・Vのサブタイトルに「恋」「愛」が入り、性に関わる大きなテーマになっていますね。
富野 今回のVで言うと、じつは「恋愛」も乗り越えてもっと根本的な「男と女」「オスとメスの関係性」というところに触れることを意識しています。
というのも、戦争という状況下で、普通の恋愛話を持ち込んだだけでは、ガンダムやモビルスーツという強力なスペクタクルグッズに負ける気配が出てくるんです。
だから男と女の恋愛の問題を超えて、オスとメスの問題を持ち出す。それは、シロッコが出てきた時にはっきり言わせてるんです。そのくらい強く言葉の上でも問題を提示していかないと、ただのメカアニメになってしまうからです。
例えば、本来ロボットアニメのレベルで言えば、二部であったレコアとシャアのシーンは必要ないものでしょう。
でも、そういった周囲の濃密な男女関係が描かれているから今回のようなラストシーンにも至れるんです。カミーユがファに抱き付いてるシーンを観て、「あ、やっぱり映画だからハッピーエンドになるんだよね」と思われないように、全編に男女の関係性を入れる事に気を配りました。
――カツをちゃんと諭すようなシーンもあり、カミーユの成長描写を新鮮に感じました。
富野 まさに、(テレビ版の時から)登場人物を半歩ずらして見た時に、人に対してそういうことが言えるような自覚性を持ったカミーユもありうるわけです。
恋愛でも、女の生々しい面を見知った時に、「嫌だ」と思うでしょう。でも、それと同時に「女っていうのはそういうものなのか」ということも心に突き刺さるわけです。
だから、カミーユは女性に対する嫌悪が沈静化していった後に、ファのような女性に抱き付いて行けるんです。
そうやって抱き付くことも含めて、「人生なんだ」と思えるようになれば、「やっぱりカミーユは壊れないでしょうね」と思うわけです。
――ハマーンみたいな指導者タイプの女性キャラクターもいますが、彼女についてはどういう意図で動かされているんですか?
富野 初めはテレビの1年っていう長丁場をもたせるための敵がいなくちゃいけないからという、それだけです。だけど、シロッコみたいなものを置けば当然その対極として、女性が必要になってきます。
実はハマーンは中世の女王様、エリザベス女王みたいな位置付けを想定してるんです。僕のロジックで言うと、シロッコのようなキャラはどんなに強力な存在として描いても最終的に彼を刈り取る女帝がいるだろうと考えました。そして、この刈り取った女帝が帝国を築くかもしれないけれども、それもまた衰退していくのではないか。そういう歴史の連鎖みたいなものは予定していました。
――多くの深夜アニメやサブカル的漫画など、王道のメジャー作品よりもマニア的なものがもてはやされる傾向があります。監督は自作についてどう考えていらっしゃいますか。
富野 一般的に今の時代、ファン以外の人たちがどれぐらい観てくれるのか、どれだけ吸引力を持たせるかっていうことが大事なんです。普通の映画館で観せるということは、同窓会でもファンクラブの集まりでもなくて、興行なんです。
興行というのはいろんな客が観に来るんです。その客を鷲づかみしていきたいし、いろんなお客さんに観てもらう仕掛けを作っていかなくちゃいけないんです。それが映画の基本だろうと僕は思ってます。
だから「小屋に掛けますよ」って言われた瞬間に、劇映画にしなくちゃいけないと思うわけです。劇映画の劇ってどういうことかと言うと、みんなで楽しむものであって、メカ戦じゃないんです。性能競争だけ見せて終わってはいけないと思います。
――ガンダムの世界とうって変わって、今、ニートやら何やら男が元気ないといわれます。監督はどう思われますか。
富野 男は、今、何やっていいかわからなくなっているんです。
男の仕事が競争だった時代と違って、少なくとも現在の先進国に関して言うと、昔の戦争みたいな仕事は考えられません。
そういう、はっきりした男の仕事がないように見える今、僕が男に言いたいのは、種付け以外の仕事や戦争以外の仕事ってあるんだよという事なんです。エネルギー源があと2〜300年で無くなるかもしれないし、地球環境がこんなに汚染されたら、あと何千年も人類が生き延びられないかもしれないという事を本当に考えてほしいんです。
――戦争に代わる仕事を見つけられれば将来は悲観することはないんでしょうか?
富野 これからの時代、戦争をやっていったら、究極的にはそれこそガンダムでやってる人類根絶やし作戦になるしかないんですよ。根絶やし作戦も、ガンダムでやってわかったことがあるんです。地球って広くて、世界中の民族の事を考えた時に、そう簡単に、根絶やしになんてならないんです。
――隕石やコロニーを落としても、簡単に絶滅なんてしないんですよね。
富野 僕は未来に絶望する必要はないと思います。絶望する必要がないからこそ良い秘策をそろそろリアルに考える時代に来てると思うんです。
だからこそカミーユに最後に言わせているんです。「地球の重さも大きさも想像できないのに何言ってるの?」って。
――そういう時代の生き方としてどのようなモデルがあると思いますか。
富野 答えは右肩上がりの生活を止められるかどうかじゃないかと最近思っています。
たとえば、ヒントは平安時代や江戸時代みたいな暮らしにあると思うんです。つまり、茶の湯や借景のような日本人が発明してきた「美意識を追求する」という感覚です。
こういったもので、穏やかに持続する生活の中でおかしくならないで暮らしていける心の在り様を、みんな手に入れればいいんです。
最近のフィギュアの完成度なんか見ていて、この頃、実はアニメオタクといわれている連中は平安貴族になりえるんじゃないかと思って、「おまえら頑張れ」っていう気分になってきてる部分もあります。僕はその感覚はかなり正しいんじゃないかって思い始めています。
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