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日経キャラクターズ! 2006年春号 富野由悠季インタビュー「大人になったガンダムファンたちへ……」:シャア専用ブログ
1本のラブストーリーとして
――「星の鼓動は愛」というサブタイトル通りのラブストーリーになりました。
最初はTV版のイメージを反映した“Ζ的”なタイトルの予定でした。ところがある時、1人のアニメーターが「ガンダムっ
ぽいからイヤだ」と言ってきたんです。ガンダムが好きで、それを仕事にまでしている人が抵抗があるというのなら、逆
に一般化してもいいと考えました。世の中には「愛」の文字がタイトルに入った映画は星の数ほどあるけれど、あえて死
語に近い言葉を組み合わせてみました。その結果、そういう感想をいただけたなら、言うことはありません。
――今回で3部作は完結になりましたが、“新訳”という試みを振り返っていただけますか。
「Ζ」を映画化するにあたっては、TV版のファンを切り捨ててもいいという覚悟で始めました。年齢を積み重ねたファン
の価値観に沿った作品にしたいという考えからです。そして彼らが、今度は自分の子供に見せてもいいと思えるだけのク
オリティを持った作品にしようと思いました。
――特にラストシーンの新解釈が話題を呼んでいます。
ただのダイジェストはやりたくなかった。TV版の「Ζ」は、20年前という時代に対するカウンターだったわけで、それを
今やり直す意味はないからです。このカウンターということの象徴が、自我崩壊していくカミーユの姿でした。当時そこ
にシンパシーを感じたファンも多いでしょうが、それを懐古するようなものを作っても、旧作以上の価値は生まれません
し、ただの退行現象になってしまうでしょう。60歳を過ぎた自分としては、それはしたくありませんでした。
――あそこまで大胆に変わるとは、正直意外でした。
例えば、現実の人生は絶対に書き換えがききません。でも、フィクションだから、それくらいやっていいだろうと考えま
した。「前作を否定するのか?」という疑問が出てくるのは当然だと思いますが、逆に書き換えたものがどうだったのか
と、そこを評価してもらいたいと思います。
――以前富野監督は「『Ζガンダム』は現実認知の物語である」と語られていました。
それについては、今回も変わりありません。ただし現実、すなわち自分の周囲で起こっている現象というものは、その人
の受け止め方で変わっていくものだと思います。TV版のカミーユは、現実をすべて負のプレッシャーとして感じてしまう
心性を持っていました。でも、その受け止め方を半歩ずらすだけで、プラスにとらえることができる。だから、TV版の人
物配置や事件、戦局をいっさい変えないで、カミーユという人物の描き方を変えてみたんです。
「恋人たち」があったからこそ
――第3部は、全編を通して宇宙での戦闘で、TV版にあった地球へ降りるエピソードが省略されているのが印象的でした。
そのことについての後悔はありません。そのために2部までがあったんです。「恋人たち」に対するファンからの非難の声
は届いています。でも3部を見ていただければ、カミーユとファがあのラストにたどり着くためには、あの2部が必要だっ
たと理解できる構造になっています。ただ3部がここまで一本線の宇宙戦だけでまとめられるとは思っていませんでしたか
ら、そこが逆に3部の欠点となることも認めます。詰め込みすぎの2部と走りすぎの3部が、もう少し調和してくれるとよか
ったかもしれないとは思います。
――気の早い話になりますが、“次のガンダム”はありますか?
あり得るでしょう。けれど、どういうものになるかは、考えてもいません。今の段階では、体力も切れているし、勘弁し
てくれとしか言いようがありません(笑)。でも、エンディングのミネバを見ても、他の人物の現れ方を見ても、興味が
出てきて当たり前で、そのような興趣がわかないものは、作品にしてはいけないとも考えていますからね。
劇場版Ζまとめ職人さん、ありがとうございます。
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