05/05/16-15:38
EYE SCREAM 2005年6月号「ガンダムが僕らに伝えること」:シャア専用ブログ
DIRECTORS'INTERVIEW 富野由悠季「アニメを、『Ζ』を、芸能の域に引きずり出してやる」
今「Ζ」である理由
まあ言ってしまえば「オファーがあったから」なんですが(笑)。ただ、もちろんオファーがあったから作れるものでは
ないんです。実は5年程前にもオファーは受けてはいたんですが、やっぱりやる気にならなかったんですよ。それが一昨年
にオファーを受けて「やってもいいかな」って。20年という時間を経た今ならば、新しいメッセージを加えることができ
るだろうという“勘”がはたらいたからです。
いみじくも「Ζ」というのは戦争であり、裏切りであり、成長であり、キレる若者であったりと、本放送当初から時代性
と非常に密着していた。そして当時制作者として僕が「Ζ」に込めた裏テーマ、つまり「アニメばっかり観てたら馬鹿に
なるぞ」っていうことをロボットものに背負わせるという挑戦も間違っていなかったと信じています。主人公のカミーユ
が最終的には自我が崩壊して狂ってしまう姿に、視聴者それぞれが「え、なんで?」って考えてくれたらと、僕は作った
つもりだった。
ところが僕自身そのテーマに真面目過ぎたところもあって、僕自身の後味がどうもよくなかった。圧倒的に暗くて、鬱屈
してて、話が込み入っている。これはTVアニメとしてはいかがなものだったのかと。だから僕にとってはしばらくイメー
ジの悪い作品だったんですよ。ところが20年の歳月が過ぎて、「あ、やっぱりこうなったじゃねえか」と。当時「Ζ」で
予見したことが、オウムの犯罪、青少年の犯罪の顕在化、学力の低下による「ゆとり教育」の見直しと、もう「それみた
ことか!」っていう感じで顕著になってしまった。アニメレベルで考えていても「Ζ」だったのに、現実はもっとひどく
なってしまったというわけです。
だから予見なり予兆としてあったものを縮小再生産して再現しようとはまったく考えていなかった。むしろここまでのテ
ーゼがあったからこそ、「たかがロボットアニメだろうが!」ってところまで落としてやる作業こそ、今は第一だと確信
したんです。もっと言えば「アニメばっかり観てたら馬鹿になるぞ」っていうのは、視聴者に向けてではなく、むしろ同
業者へ向けてのメッセージだった。アニメ業界に向けてのアンチテーゼになることが重要だったし、当時はそれが僕にと
っての意地でもあったんです。アニメ以下であり「Ζ」以下のことが現実には起きている。だからこそエンターテインメ
ントである「Ζ」を観せたいと思ったんですね。
芸能の段階へ向かうアニメ
ものすごく簡単な言い方をしてしまうと、そろそろアニメをキチっとした“芸能”の域に持っていかなきゃいけないだろ
うと。だから「Ζ」をわかりやすい話、つまりは“お楽しみ”にしたいと。それは今のアニメに露見している、ウソ八百
何でも並べりゃいいやっていう“お楽しみ”ってことじゃありません。
芸能っていうのは歌舞伎にせよ何にせよ身体から発する物語性や躍動性を観るわけで。生身の人間がやってるからいい。
歌や踊りもそもそもは神々や自然に対する畏敬の念を表現するものだったわけで、そうせざるを得ない人々の存在があっ
たことが起源となっている。手描きのアニメ、ましてやロボットものがそこへ行かなければならないんじゃないかと。も
うメカはその魅力は薄れることはない。むしろかっこいいメカに皆が慣れ過ぎてしまった。なによりモビルスーツのクオ
リティをこれ以上に上げるなんて作業は僕の歳ではハードだし、もういい。それは描きたい奴が描いてくれりゃいいし、
ましてやCGワークが主流になってからの状況の変化は圧倒的なものですから。それが60歳を過ぎて今この現場にいる僕の
言い分です。
ただ、ここで言いたいのは「お前らその技術を何のために使うつもりなんだ?」ってことです。「ガンダムを作るためだ
けに使うんならそんなモンはクズだ!」って。デジタルの技術を使ったその果てで「お前らチンチン立つんだな?」って
ことです。だからここ5年くらい芸能って言葉を確信のように使い続けているんだけど、「アニメを芸能に近づけるための
“お楽しみ”論」をきっちり押さえなくちゃならない時期にが来たんですよ。物語に決定的に寄り添っていくものを作ら
なくちゃいけない。「Ζ」で芸能ができるんだよ!って、明快に提示したいんです。だからアニメを、「Ζ」を、芸能の
域まで引きずり出してやるつもりなんですね。
TV版と劇場版の相対性
細かいテクニックで言えば、登場人物の細やかな動きや台詞の微調整でこんなにも物語を変えることができるということ
を楽しんでほしいし、今回の劇場版でのカミーユはTV版への想いが強ければ強い人ほど、その印象が違うでしょうね。け
ど、それは絶対に気持ちのいい違和感のはずなんです。だから「もう君たちの現代が狂っているんだから、狂気の扇動を
担うようなロボットアニメはもう作らないよ。「Ζ」で芸能ができるんだ。これがロボットアニメなんだ」っていう、僕
はそういうつもりで今回手掛けている。で、第1部でそれが正しくて、できるんだっていう確証を掴むことができた。あと
は第2部、第3部と観てもらって、映画で初めて「Ζ」を観た人の感想が「結構エンターテインメントなんだねえ」でもい
いし、TV版が好きだった人の感想が「ああ、こうなんだ」でも「やだなあ」でも、僕はもうどっちだっていいんです。
だって「Ζ」の鬱屈した雰囲気に大人を感じていた人もいるかもしれないけど、それは当時その人がどこか子供だったわ
けで、「大人になった今またそんなもん観せられたらお前絶対落ち込むぞ」って言いたい。だから「お前を落ち込ませな
いんだ!」っていう自信を僕は持ち得たから。「まだロボットアニメなんてやってんだ〜」って思う人にも観てほしいし
絶対損をさせない。なぜならそれは「Ζ」が“普通の映画”だからです。重たくないし、もたれない。「今年から模様替
えしたんです」って言ってやりたいぐらいにね(笑)。
デジタルの功罪で思うこと
やはりここ数年における現代の事象では、何より「デジタル」という言葉が一番大きかった。デジタルが中心になってき
た時代においての人間の感性の移り変わりというのは、どうも二者択一、あっても4択くらいしかない。10年程前からそれ
は薄々感じていたんだけど、「マトリックス」を観たときに、「マトリックス」自体がどうこうではなくて「あ、やっぱ
りこりゃヤバイな」って確信を持ったんです。
映画芸術って言葉があるけど、これまでの映画の半分が、ひょっとしたら技術としての映画を殺してきたかもしれない。
映画芸術の対極としてあるのは、極端に言えばポルノっていうことになる。やはり映画関係者は映画という産業自体をナ
メてきちゃった部分が大きかったと思う。オピニオン・リーダーが少ない現状も含めて、本気で芸能をやろうって奴が少
ない。
芸能映像っていうのはあり得ると思うし、その例として優れたCMっていうのはやはり芸能なんだよ。あやや(松浦亜弥)
のヘソ出しダンスは素晴らしい芸能です。見せ方の巧さであり、なにより姿勢が優しいんだよね。シャープに構えないも
ん。高尚じゃなくていいけどハイクオリティでなきゃいけない。それが芸能の良さであり難しさなんですよ。
Gacktの起用について
この第1部で疑問に思うのはGacktの存在かもしれませんね。なぜテーマ曲がGacktなのかと。彼の書く曲のいくつかは昔僕
が書いていたものにボキャブラリーでありストラクチャーが似ているんです。あと、構えて芸能なりエンターテインメン
トを体現したときのひとつの形がGacktなんじゃないかなって思いもあるんです。で、騙し絵みたいに、冒頭で1曲まるま
る流れるGacktの曲が「Ζ」を発展的な意味で“普通の映画”にしているんです。
昔からの「Ζ」のファンにはわかりづらいかもしれない。「ストリップ観に来たんだけど、脱いでくれるんだよねえ?
なんかすんごい重そうなの着てるんだけど」みたいな感じで。脱ぐよ、脱ぐってば(笑)。もちろんCGではない、ロボッ
トアニメとしてのテンポとリズムはムチャクチャ計算しました。だからこの雑誌の読者に言うならば、思い込みというも
のの危険性に気がついてほしい。何かから半歩身をずらしたら事態が違って見えるかもしれないってことを、「Ζ」を通
して感じてもらいたい。
義務と確信としての「Ζ」
ガンダムファンのことはおくびにも考えていません。いわゆるオタクを意識したら絶対閉じたものになってしまう。感謝
はしています。が、絶対に考えない。ファンを意識しない方がファンのためというか、それをやったら気持ちいいものに
は絶対にならないんだよ。この歳まで自分は何が一番気持ちよかったって、違う手に触ってもらうことであり、自分が知
らないことを教えてもらうことだって。“いい子いい子”ばっかりしてたってその子はやがて死んでしまう。突き詰めれ
ば、それが特にこういう形でのリメイクのときの義務だとも思っている。
今回の「Ζ」のような存在の作品を、こうした新たな解釈で、しかも作ったオリジナルの当人がリメイクするというケー
スは、おそらく洋の東西を問わず極めて特殊なケースでしょう。ビジネスに徹して、ファンにとっておいしいシーンだけ
抽出したリメイクでは絶対に失敗するし、現にリメイク作がファーストを超える確率は極めて低い。あと20年経っても意
味のあるものを残すんだ。そういう気構えがなかったら僕がやる意義がない。だって考えてみてよ? 60過ぎたジジイが
ロボットアニメ作ってるってこと自体、もうおかしいだろ!? それをおかしいと言わせないための結果が、今日ここで
お話していることだから。微塵もナメたりフザケたりしてアニメ作ってる余裕なんてないんだよ。
ましてや僕らの世代には眼の上のタンコブみたいな宮崎(駿)さんという存在がいる(笑)。ディズニー系と比べても明
確にアニメを芸能にした点で、やはり宮崎さんは偉い。だから、ただのツギハギ映画なんか作れるわけないんだよ。泥を
かぶっていい年齢だからできることもあるからこそ、確信であり義務なんだって言ってるんだ。あと何より今一番必要な
のは、スポンサーとして決定権を持ち得ていく次世代の人達の見識であり審美眼だ。
アニメを通してこうして多くをしゃべる機会がある。それもこれも僕には「Ζ」があるからです。足場がなければ何も言
えないし、それはとても感謝しているんですよ。
*以下 ガクトインタビュー*
・富野さんのテーマに感動した
・ラストシーンとか、MS戦は震えた
・自分の曲が流れて感動した
【劇場版】機動戦士Ζガンダム-星を継ぐ者-95
http://comic5.2ch.net/test/read.cgi/x3/1116167413/ より。
ガクト分はスレから。富野分はまとめ職人さんからです。
ありがとうございました。
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