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05/05/16-20:46

ブレーン 2005年6月号 特集「青山デザイン会議 ボーダーレス化する感覚と表現」:シャア専用ブログ

富野由悠季(監督・演出家)×藤原ヒロシ(音楽プロデューサー・アーティスト)×ルーカス.B.B(編集者)
http://www.sendenkaigi.com/brain/2005/200506.html
特集 ボーダー化する感覚と表現

ボーダーレスなんて当たり前?

―――性別、国境、世代などが、「ボーダーレス」化している傾向があるといわれていますが、それについてどう思われ
   ますか?

ルー 僕は雑誌を作っているので、代理店に行ったり広告を集めたりするときに、「ターゲット層」を考えざる得ないと
   ころがありますが、もともとは自分と同じような意識とか考え方を持つ人たちに見てもらえればとおもっているの
   で、読者の性別や年齢はあまり意識していません。いま何が流行っているかではなく、自分がやってみたいことを
   大切にしています。時代も少しずつ、そうなっているんじゃないかな。

藤原 僕も、物心ついたときからボーダーレスな環境にいたというか、ユニセックスなファッションなんて昔から当たり
   前でしたね。そもそも「ボーダーレス」という感覚がいまいちわかりません。

富野 これを言ったらいけないのかもしれないけど、「ボーダーレス」なんて現象は、東京で働いている編集者が勝手に
   思い込んでいるだけでしょう。

藤原 僕もそう思います。

富野 しょせん、レトリック。その「言葉」だけを意識して、取り上げるのは基本的に間違いなんだよね。100年ぐらい前
   まではみんな貧乏だったから、簡単に自分の好きな物を買ったり着たりできなかった。でもいま、それこそボーダ
   ーレスなのか、趣味の悪いやつがみんなで好き勝手、混在して自己主張をしている。その見た目の汚さが一番シャ
   クにさわります。

藤野 それは一般の人に対してですか?

富野 うん。みんなもう少し趣味よく、もう少しきれいであってほしい。日本語には「身の丈に合う」といういい言葉が
   あります。「身の丈に合う」と「似合う」ということ。もっと言えば、「着こなし」「身のこなし」に通じると思
   うんです。ファッションに限らず、生活空間への取り込み方にも当てはまる。みんな、身の丈に合ったものにそろ
   そろしたらいいんじゃないの、最先端なんて言ってる方がダサいんじゃないの、年寄りからみるとそんな感じです

藤原 20年ぐらい前は、インフォメーション・テクノロジーがあまり進歩してなくて、海外に行かなければ得られない情
   報というのがありました。だから当時は、海外に行ったり、コネクションを持っている人が強かったと思うんです
   よ。でもいまはそういうものが全部無くなって、その意味ではいわゆる「ボーダーレス」になったと思うんです。
   誰もが同じスタートラインに立つことができる。インターネットを使えば、すぐに様々な情報を得たり発信したり
   することができるんですから。

   ただその中でも、目立てばいいというものじゃない。あまりにも趣味が悪い人や、下世話な人は目に付くけれど、
   いい意味で目を引いていない。派手な格好をすればいいわけでもない。単に目立ちたいなら、ひどい犯罪を犯すと
   か、いくらでも方法はある。いまはそれと同じ感覚で単に「目立つ」ことを目的にしているように見える人達も大
   勢いますね。

   だからそこはボーダーレスと言えども、富野さんがおっしゃるように自分の立場をわきまえるなり、趣味を良くし
   て生きるべきなんでしょう。

ルー その通りだと思う。でももう一つ感じるのは、いまのボーダーレスのニセモノっぽさ、いろいろな価値観が壊れて
   しまった結果、仕方がなくボーダーレスになった、みたいに見える(笑)。ボーダーレスの反対は「ボーダー」で
   しょう。みんな基本的に既存のボーダーに縛られるのはあまり好きじゃない。だから、ボーダーの次に来るもの、
   ボーダーを壊すものは何か?という流れで、「ボーダーレス」という言葉ができた。でも、結局「ボーダーレス」
   という言葉も時間が経てば人を窮屈に感じさせるものになってしまう。そう思います。

コピーとアレンジの日本文化

ルー 僕は外国人で、日本には12年ぐらい住みながら、日本人向けに雑誌を作ったりしています。それはどうしてかな、
   と自分でも不思議に思います。

藤原 ある種、やりやすかったんじゃない? 日本人を馬鹿にしてるとかそういうわけじゃないけど、でも日本人はまだ
   まだ知らないことが多いから、僕らの知識でやっていけるという風に。

ルー そうではないよ。海外から来た自分は、日本に出会ってインスピレーションや感動を受けました。だから海外から
   来て、海外がいいぞ、って伝えるスタンスじゃないんです。逆に、日本にある面白いものを海外に伝えたかった。
   だから、僕が以前作っていた雑誌「TOKION」は英語と日本語のバイリンガルなんです。日本人が好きだと思って読
   んでくれるものを、外国人にも読んで欲しいと思って。日本人は、「こういう文化が日本にはあるよ」って自信を
   もって自慢すればいいと思う。

   アメリカはいつも「僕は他とは違うぞ」とか「僕は格好いいぞ」と、そういうスタンスで“自分は相手と違うこ 
   と”を自分自身に課します。でも日本は違った。僕のイメージでは、ボーダーレスというか、外からいろいろなも
   のを受け入れるスタンスは、昔の日本人の方が持っていたんじゃないかな。いろいろなものを受け入れて、それを
   理解したうえで、自分の中に取り込んで動く、それは、日本のすごくいいところだと僕は思いますね。

藤原 日本は、ルーカスが言ったように、ちょっと前までは何でも受け入れて、何にでも反応してやってきた。一方で、
   そこから「出す」のが苦手だったんですけど、それがやっといまになって、出せるようになってきたし、出す人が
   出てきたと思う。

ルー そう。それがすごく大事だと思う。受け止めて、出せる、というプロセスがキープできるといいと思う。

富野 コピーしたものを日本人がどういう風にアレンジしてきたか、ということについて、ちょうどこの半年ほど考えて
   いることがあるんです。以前、雑誌「ガンダムエース」で対談した宗教学者の山折哲雄さんの著書「日本文明とは
   何か」を読んで、ショックを受けたんですよ。まず日本が世界でも特異な国だというのは、東洋と西洋の文化を両
   方ほとんど同じような比重で受け入れて、咀嚼して自分達のものにしていることなんです。その歴史的な推移を見
   ると、いま自分達が抱えている問題も見えてきます。

   室町時代までは、中国、アジアの文化を入れて、それを日本化していくというプロセスがあった。そして織田信長
   が安土城をつくったときに東洋の文化を受け入れてのバブルの頂点があって、それ以後の江戸時代は250年、何にも
   ない。で、黒船がドンって来て、日露戦争に勝った。だけど、そのあと第二次大戦でアメリカにコテンパンにやら
   れながらも西洋文化を取り入れた結果、再びバブルがきた。その歴史からすると、これから我々は200年くらいの停
   滞期を過ごすことになるでしょう。そこで、どうやって暮らしていくかと考えたとき、ボーダーレスなんて当たり
   前と考えます。

藤原 その200年っていう時間も、今度はきっともっと短いでしょうね。100年とか。

富野 おっしゃる通りです。その100年後に見えてくるものを考えると、いまから手当てをしておかなくてはいけないこと
   がいろいろあるので、歴史に学ぶことも多いと思います。

   ところで、外国のコピーをしてきた結果の日本文化に、ルーカスさんはなぜ興味を持ったんですか?

ルー 日本は全部コピーをしているんじゃなくて、オリジナルにアレンジしている。それはアメリカ人にはないところ。
   アメリカ人は「僕らが正しい」というスタンスだから、そもそも他の文化を取り入れたりしない。

富野 ルーカスさんは、日本のそういうアレンジの仕方に、次のものを作り出す可能性を見たから、日本に来ているので
   は?

ルー それはあると思う。

藤原 単にモノをアレンジするだけじゃなくて、日本人はものの見方も変えてしまうと思うんですよ。例えばアメリカか
   らデニムが入ってきたときに、向こうではデニムは作業着なのに、日本人はそれをファッションとして取り上げて
   レベルアップさせた。デニムでもチノでも全部そうだと思うんですけど。

ボーダーレスとボーダー

藤原 最近日本のカルチャーが世界的にも注目を浴びていると言われますが、当の日本人は案外世界でどう思われていて
   も関係ないんじゃないですか。海外の人が日本からいいものを取っていこうと青田刈りをしているだけの問題で、
   日本の作品レベルはたぶん昔から同じだったんじゃないかと思いますね。

富野 日本は極東ではない、という風に思い始めた人々が白人の文化圏に増えたからこそ、アニメのことも含めてだけど、
   嫌悪せずに見るようになっているんでしょう。特にヨーロッパではこの15年20年、アニメという側面から見ると日
   本はすごいですよ。ジブリ系のアニメなんて、ヨーロッパのほとんどの国で、それぞれの現地語でオンエアされた
   ものだから、この20年間に育っている子供たちの中で、「アルプスの少女ハイジ」が日本製だと思っている子はほ
   とんどいません。みんな、自分達の国で作られたものだと信じています。

藤原 子供のときから観ていれば、そうかもしれないですね。この前ドイツに行ったときに、いたるところにピッケが立
   ってたんですよ。「小さなバイキング」の。そのとき、ああ、これってこっちのものなんだって初めて気がつきま
   した。

富野 それは、文化的な行為の素晴らしさでもあると同時に逆にいやらしさでもあると思う。ジブリ系のアニメは、外国
   で放映すると現地に潜り込んじゃって、作った人が見えなくなります。それが気に入るか気に入らないかは別の問
   題ですけれど、僕もどこかの国に行ったときに、ホテルに入ってTVをつけたら「母を訪ねて三千里」をやってたわ
   けね。「そのコンテ、俺のコンテだぞ、でも俺の知らない言葉を喋ってる!ちょっと許せない!」と思うことがあ
   りました(笑)。

藤原 確かにボーダーレスって、肯定というか、何か可能性があるように使われていますけど、それだけではありません
   よね。いま海外で日本映画が流行っていると言いますが、エスカレートすれば訳がわからないままにレベルの高い
   もの低いものも買い漁っちゃうと思うんです。その結果「なんだよ、日本たいしたことないじゃん」と思われて、
   ダメになってしまうのではないか、そのスピードは思いのほか速いのではと思います。

富野 うん、でもそういう意味で、いいものも悪いものも、合わせてグチャっとなっているのが、文化なんでしょ? も
   ともとボーダーレスなんですよ。ボーダーにしてしまった瞬間、そのグチャっとした面白い部分は無くなって、み
   んなカッチリしたものになってします。けれど、やはり「ボーダーレス」というレトリックでモノを考えていくこ
   とは根本的に間違いだと思うし、そういう言葉でしかモノをとらえられない人達は頭が悪くて、かなり感度が悪い
   と思う。でもそういう頭が悪い集団は、あるとき時代を制覇することがあるんです。とても危険なことだと思いま
   すね。

「美」の構築が未来を支える

藤原 もう一つ、いま大きな問題といえば、「未来」がなくなってしまったことだと思います。未来像が見えなくなった。
   30年前だったら、ガンダムをそうですけど、ロボットってすごく未来を感じさせるものだったと思うんです。でも
   いま、もうロボットは「未来のもの」じゃないですよね。なのに、次のものが見えない。たとえば僕が子供のとき
   に行った大阪万博は、歩く歩道とか月の石とかがあって、それはスゴイことだった。いま愛知万博に果たしてそれ
   と同じだけの、魅力があるのか…。「ガンダム」の未来像って素晴らしかったと思うんですけど、富野さんはこの
   先、そういう近未来って何か見えているんですか。

富野 いや、見えていません。さっき言った山折先生の歴史観でもそうですが、人の行為としてやるべきことは何なのか
   って考えたときに行き着くところがあって、でも自分としては難しくて、ほとんどギブアップしかかってます。

藤原 それは、どういうことですか?

富野 「美」を確立する、アーティストになれるのかということが、いま自分に問われているんですよ。これからの数百
   年を支える「美」を構築することが、いま時代に必要なことなんです。ここでいう「美」とは「わびさび」です。
   「わびさび」を徹底的に追求して、それを美しいと愛でることのできる心を持てれば、人間は狂わないで死んでい
   けるんです。その「わびさび」に自分の、それこそ、いま流の言い方をしますと、アイデンティティを投入するこ
   とができれば、つまり「美に酔う」ことができれば、対象はなんでもいいんですけど。でも僕はTV屋、マンガ屋、
   そしてロボットアニメ屋だったから、自分が「美」に行けない悔しさがものすごくあるんです。

藤原 この先はちょっと行き詰るってことですか。まあ下世話な話をしてしまえば、仕事のネタがなくなるというか。

富野 いやあ、そんなのもう20年前からなくなってます。なくなってるけれど資本主義体制のおかげで食べていけた。そ
   れはありがたいことなんですが、でもじゃあ、その次は何かと考えたときに、やはり「美」を目指したい。僕がい
   ままでやってきた、映画という媒体で「美」というものを見せ得るのか。僕の守備範囲の中で、死ぬまでにはそう
   いう方向性を見つけていきたいと思っています。

   昔の人は、お茶、生け花、お花、庭、能…という独自のスタイルの中に、自分達の美意識を投影できる対象を見つ
   け出しました。その結果、その辺の野に咲いている花一輪を愛でて30分も座っていられる。貴族だけだけでなく、
   戦国武将と言われてる、戦乱を潜り抜けている人達もそうだったらしいのね。それは人殺しをしている反面の欲求
   必要性だったんでしょう。つまり狂わないための方法論だったんだろうな、と思う。

藤原 花一輪なんて、ずいぶん身近で手っ取り早いものを見つけましたよね。いままで普通にあるものを使って、文化に
   高めたわけだから。

富野 まさにアレンジでしょう。野の花を一輪挿しにぽんと置いたり、お茶を飲むにも段取りを決めたり。ただ、その美
   意識は、たとえば「茶室で一度でも刀を抜いた瞬間、その人は社会的に制裁される」という認識が浸透している、
   道徳にまでつながっている凄まじい力なんです。だから美意識だけを高めていければできるというものでもない。
   じゃあどうするっていうのを、僕はもうじき死んでいくからいいんで、藤原さんやルーカスさんのよう年代の方が
   これから本気で考えて、というのが、ボーダーレスの究極な話でした(笑)。

ボーダーレスな状況で何をつくるか

ルー 僕はすごい混乱してるけど(笑)、ヒロシ君には、お茶とか庭とか、その続きのものを作ってほしいです。

藤原 それに変わるものってことですね。その時代に必要なもの。

富野 ただ一つ、いままでと違うのは、我々がこれから提示する美意識というのは、ワールドワイドな共感を得るスタイ
   ルでなければならないということです。

藤原 海外とボーダーレスな状況だからですよね。

富野 そういうムーブメントはすでに始まっていると思っています。問題なのは、それをどういう作品、形で世間に対し
   て投げ出していけるのか、アピールしていくのかということですね。

藤原 いままでなかったものを芸術として、認めさせなければいけないということですか?

ルー いままでなかったものを新しく作る必要はないんじゃないかな。いままであったものにアレンジすることはすごく
   大切だと思うけど。

藤原 そうですね。お花でも、その辺に咲いていたものを取ってきて、アレンジするということが、新しかったわけだか
   ら。いまの時代に合った「美」というものも、そこらへんに転がっているかもしれない。でもそれが何かはまだわ
   からない。

富野 もう野の花というわけにはいかないわけです。地球の裏側の、地球の南と北の感性をチェックしなきゃいけないっ
   ていう作業が、これから10年くらい続くと思います。

藤原 さっきのお話で、ボーダーがあるとカチッとするというのは、とてもわかりやすかった。カチッとしているのがい
   いのかそうではないのか、いい悪いはわからないけど。これからはその先に、ボーダー/ボーダーレスを飛び越え
   た柔らかいものというか、みんなが共感できる「美」を見つけ出して、それを共有することを地球規模でできれば、
   一番いいということでしょうか。それがモノづくりの最終目的というか。これから何を作るべきか本当にわからな
   いし、難しいんですが。

ルー 未来が見えないって、すごく大きな病気だと思います。さっき花の話になっていたけど、花を見れば、どんな人で
   も美しいと感じます。それに昔は、ただキレイっていうだけじゃなくて、自然のような生き方も大切にしていたと
   思う。人間がどうやって花になるか、という課題を考えれば、いい方向に向かうんじゃないかな。

富野 そうですね。僕も、希望という柔らかいものをもっと表現できる力を身につけた、そういう作品に出会いたいし、
   作り得るものならば、死ぬまでに作りたいですね。

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