05/06/07-22:55
アニメ誌早売り情報2005年7月号:シャア専用ブログ
■NT
劇場版Ζ
見開き2Pで一部の紹介
ガクトのインタビュー2P
福井晴敏
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As'まりあ
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カトキハジメ
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柴田ヨクサル
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届けられた魂
期待感高まる劇場版Z。はたして続きはどうなる?
新カットと編集でキャラクターの見え方が変わる
[Z]!見ましたよ〜初回放送をTVで見て、ビデオも撮って何度も何度も見たあのZ。
自分がニュータイプ予知能力があるのかと錯覚するぐらい(笑 次のセリフを覚えているこの作品を
映画版になって本当に楽しめるのか?
試写会でみたときに吹っ飛びましたね〜!
編集のリズムとテンポがとってもよかったのと、新カットを最後の方にもっていったのは
ファインプレイですね。
TV版と違って毎週毎週戦闘を入れないといけないという拘束がない分、
人間関係に力を入れられたところが深みを足しているんじゃないかと思います。
正直TV版の女性像が男の都合によいというか、男の人が描く女性という印章をもっていたのですが、
映画になってものすごくよくなったと思います。
新しいカットが足されたのと編集の仕方でキャラクターの見え方が変わるもんだな〜
と感心しました。
最後のアッシマー登場の盛り上げもよかったですね!
TVではブランって[ふ〜ん]ってキャラだったんだけど
映画版の彼は初代のランバ・ラル登場のエンディングに負けてません!
まあラルみたいに主人公の成長を伸ばすキャラにはならないと思うけど。
なぜかジーンと来たのがアムロとシャアの再会!!
あのシーンで今迄みたガンダムシリーズの映像や小説、そして今迄作っては失敗していったガンプラたちが
フラッシュバックするかのように、僕の頭をよぎりました。
そして、最後の最後にベルトーチカとフォウが一緒に出てくる続編のタイトル。
初代の映画版のロゴを彷彿とさせるところとかが憎い!
劇場版の2部では[逆シャア]でのシャアの行動の動機になるような新カット期待しています。
だってZの主人公はシャアだもの。
Taku Takahashi(m-flo)
MS-35 Hachicca
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ここにあるMSはすべてアナハイムエレクトロニクス制作の物だが、
ハチカはジオン・オーダー最後のMSで、キュベレイの汎用機として制作されている。
ファンネルは4基を巨大な頭部に収納し、リックディアスやガルバルディと同じウェポンシステムを搭載している。
詳細は不明。
DESTINY
PHASE-35「混沌の先に」
デュランダルの演説に触発された人々が、地球各地でロゴスのメンバーを
襲撃。一方、アークエンジェルは、満身創痍でオーブを目指す。
PHASE-36「アスラン脱走」
デュランダルはシンに新型モビルスーツ「デスティニー」を与える。
アスランにも新型の「レジェンド」を与えようとするが、アスランは
デュランダルの思想に強い違和感を感じ始めていた。
PHASE-37「雷鳴の闇」
ミネルバから逃走したアスランは、シンとレイの追撃を受ける。
だが、シンはアスランに銃を向けることをためらっていた。
時を同じくしてデュランダルは、地球軍に対して一大作戦を開始する。
PHASE-38「新しき旗」
ザフトと有志地球連合軍は、ロゴスの本拠地ヘブンズベースに迫る。
しかし戦闘はロゴス優勢に展開する。
第4期OP CHEMISTRY「Wings of Words」
初回限定版は書き下ろしロング・スリーブ・ジャケット仕様ステッカー、キャラクターカード(仮)「キラ・ヤマト」封入。
通常版は初回仕様キャラクターカード(仮)「ラクス・クライン」封入。
7月27日発売。
ドムトルーパー
恐らくザフトの機体、機能・配備先など不明。
パイロット
ヤイド・ドーラック:矢尾一樹
ハルク・ストインジ:堂珍
ミサ・コートイー:井上喜久子
※パイロットは画像確認無し。ガセかも。
千葉智宏
約一年ぶりにアストレイRの戸田先生とお仕事しています。
詳しくは秘密ですが、アストレイファンに喜んでもらえる内容です。
ガンダムエースで連載中のDアストレイ、阿久津さんデザインによる新ガンダム登場です。
■アニメージュ
富野インタビュー
と…御大 や…やまむらはじめ
修正のシーンがカットされた理由
や
今回は[星を継ぐ者]をもう一度見たくなる、という部分について
お教え頂ければと思ってます
と
何度も観なくても…1回観て頂ければ十分ですよ
や
そんなことおっしゃらずに、まず僕が当時テレビで[Z]を観た印象から正直に言い
ますと、個々に良いエピソードもありましたけれど、全体的には不快なフィルムとい
う印象がありました
ただ漫画家という職業に就いてあの作品を振り返った時に、作る側の人間として
プランニングを話しの中に取り込んでいるという点においては、かなり良く出来た作品だと
思えたのです
と
それは、まったくその通りで、今あなたがおっしゃった印象を僕自信も持っていました
それこそ、[ブレンパワード]の頃から[Z]のリメイクに関して言われていましたが、
そう簡単には乗れなかったし、これをまとめる為には、作り手である僕が何か別の物を
手に入れない限り絶対にまとめられないという勘だけはありました
ですから、[∀][キングゲイナー]の作業を経て、やっと[劇場版Z]をまとめられ
たという確信が生まれて、今迄無駄な仕事をしてきたという意識は一切無くなりました
や
[星を継ぐ者]は、とにかく娯楽に徹している内容で単純に楽しめましたが、まず観て
いて気になったのはTVシリーズから劇場版に移行した際に消えた部分の中に[修正]
がありますよね。ウォン・リーがカミーユを殴って、そのあとカミーユがシャアを殴っ
てという…当時は観ていて、そこが気持ち悪かったんです
今回の劇場版ではその部分を省いた事に、実は大きなテーマがあるのではと考えたのです
と
今風に行ってしまえば、[暴力は行けませんよ]という言い方になるかもしれませんが、
そんな生易しい問題ではないですね
大人の世界や戦争という行動を見て行った時に、いつも兵隊がああいう風に暴力的に追い込
まれていって、抜き差しならないところで死んでいくという構造が絶えずありました
そういう強制を今我々が[ああいう者があった]という嫌悪感を持つだけでいいんだろうかと
考えました
そうすると、嫌悪感を持っていなくても、元々戦争という行為が極度に暴力的な物で、[ガ
ンダム]という物語が…
特に[Z]は…戦争の物語になっているのだから、その部分としての巌然として圧倒的な暴力
があり、人は皆圧倒的な殺傷力を持った物を身近に置いているのです
人というのは、そういう者が身近にあればあるほど、本当は気を付けなきゃ行けないのではないか、
というところにやっと理論が行くようになった結果[修正]はカットしました
ですから[Z]の3部作に登場する人物達は、モビルスーツ.ライフル、小銃などそういう
ものを持つ事で何をしなければならないのかという論理感を抱えているんです
日常的な暴力シーンに関しては、こういう理由で基本的に排除しました
や
富野監督のほかの作品では最終的にジェノサイドというか、キャラがみんな死んでしまう物語
もありますが、監督が持つテレビの[Z]に対する嫌悪感は、そういう後味の悪さとは別種のもの
だったのでしょうか?
と
そうです、たとえば僕個人が[イデオン]はひどい作品だなと思うのと、総論的に作品そのもの
がひどいのかというのとは全然違う話です
ああいう世界観だったら残酷な描写も描けるかもしれない
TV版の[Z]というのは[イデオン]までぶっとんでない
人を殺める、人がおかしくなるという事に対して、あんなTV版のようなつくりでも、劇に
見えなくて、かなり生々しくリアルに感じる物です
そういう事をアニメ、映画という媒体を使って書いて良い物なのか、というのはかなり疑問が
あります
なぜなら映画というのは基本的に大衆娯楽というスタンスを取るべきであって、今回の[Z]
に関しては、僕は、嫌な言い方をすれば[健全な娯楽]にする努力をしました。
さりげないシーンに込められた[芸]
や
ではやはり[Z]は[病気の人もこうすれば生きられるよ]というメッセージ性よりも、娯楽が
メインだというのですか
と
メインではあるのだけれど、病気なのかもしれない人に[元気になれよ]というメッセージを
与える点では、今回の3部作のほうが鮮明になっています
カミーユはなんでこうなったんだろうか、というのをちょっとでも気がついてもらって、
もう一度[星を継ぐもの]を見直してくれれば、あ、そうかという気持ちになってくれると
思います
や
じゃあ、やはり2回観ないとだめじゃないですか(笑
と
そういう事で言うなら、4−5回観ないとだめだと思う(一同笑い)
だけど[星を継ぐ者]では鮮明にそれに関しては、わかり易いシーンもあります
いきなりMSを動かす事になったカミーユが、あんな形で両親のとんでもないところを見せ
られて、どういう風に立ち直るかって事は、レコアさんにもたれかかった事で手に入れてい
ます
そういう痛みを癒すには、その痛みを受け止めてくれる他人に出会う事だろうし、もっと大切
な事は、あそこでエマにシャアの話をさせているという事です
もっと順々に説明したかったんだけれど、実際に劇というのはこのくらい圧縮していいんだ、
二重構造にしなくていいんだ、という事に気づいたのです
つまりセリフに反応する周りの人を描く事で、物語の構造が豊になるんです
そういうものを想像してもらう事で[外へ出て行きなさい。色んな人の顔を見ていると解かって
くる事もあるから、自分だけで辛がったり寂しがっている暇はないんじゃないの?]
という事が、あのシーンに徹底的に集約させた事なんです
また、そのシーンの後で、劇的な面白さがあるから、レコアに[お尻を触られていたの]と
いう言い方をさせているのですが、それだけではちょっと甘いな、と思います
や
どういう意味でしょうか?
と
あのシーンを普通に流したら、話はシーンと沈むんです
まだエマに本当の事を喋れないレコアとシャアがいて、ドア一枚隔ててもちょっとタイムラグ
おいて出て行かないといけないという所で、レコアが嘘をつかないといけない
一方でエマは絶対二人は別の話しをしていたっていうのが分かっているわけで、あの部分を
スピーディに済ませていく段取りは本当に考えました
話しを沈ませるんじゃなくて走らせる、では何で走らせる?という時に、お尻を触られていた
のだとかいう会話で乗り越えたっていう意味を分かってほしいですね
あそこでレコアが[今ちょっとクワトロ大尉と大事な話しが]って言ったらそれっきりですよ
ああいうセリフを持ってくるまで数日かかりました
や
アニメだとああいうシーンはすごく意識して作らないと行けませんよね
実写だと役者の雰囲気など楽にできるかもしれませんけれど
と
徹底的にプランニングしなければならない物ですからね
でもそんな風には見えてないでしょう?
や
見えてないですねぇ
と
でもね、作り手としてはあそここそ止めで観てもらいたい処ですね
別の視点を挙げると、あの時エマから見たシャアとレコアの距離です
お尻を触っていたかもしれないという距離なんです
なんとなく作画なんてさせていませんよ
や
そういう意味では最初のガンダムと映画の[Z]にあって、[Z]のTVシリーズに無い物は、
人が生きている空気感なんだと思います。
と
そういう風に組めたのも古い画と新しい画が連続する…つまり違う画をいちいち見せられる
嫌悪感を洗い流すには、強力なストーリーラインしかないという事に気がついたからです
[強力な]っていうのは激しい戦闘シーンということではなく、普通の人が楽しめる普通の話し
という事です
[ドタバタして自分とは関係ない現実の中に足を踏み入れてって、それでもまた自分が立っている
場所を見つける事が出来た]
そんな、普通の話しをみつけるのが僕の今回の仕事だったし、キャリアが無ければ、こんな風には
作れないです
そして、ここまで辿り着けたから、ようやく今後は映画らしい物に取り組めるかなって思うんです
そう考えると、[Z]は見処がいっぱいあるんだけれど、見処がわからないようにつくってるから、
それが[芸能]ってものなんです(笑)
素直な恋愛ドラマになった[恋人たち]
や
[星を継ぐ者]も現在上映中ですが、この秋、期待の第2部[恋人たち]の公開も決定しましたね
見処はいったい、どんな処になるのでしょうか?
と
僕ね、[恋人たち]というサブタイトルを黙って受け入れた理由が最近まで分からなかったんです
や
サブタイトルは監督がつけた物ではないのですか?
と
最終的に決定したのは僕ですが、そこに辿り着くまでの話し合の中で、やはり[恋人たち]でいこう!
という流れには違和感はまったく無かったという事です
[星を継ぐ者]のちょっと前向きな受け止め方をするカミーユだったから、フォウと出会うところで
カミーユが恋人たちの一員として振る舞っている事が当たり前になっています
でもね、つい最近まで、テレビ版の時にあったそれらのエピソードに対する嫌悪感をすっかり忘れて
いた事に気がついたんですよ
あの部分は一年のTVシリーズを延ばす為に、わざわざ[こういう話しも無いと駄目か?]って感じで
でっち上げていれたラブストーリーだったんです
特にTV版の時のフォウの話だけは、皆が好きになってくれて、当時のアニメージュのアニメグランプリ
で女性キャラクター部門一位になったりしていたのですが、
つい最近、その部分への嫌悪感を思い出したんですよ
や(笑)
と
つまり[星を継ぐ者]でカミーユの性格の受け止め方をちょっと変えただけで、TV版で無理矢理作って
失敗だったフォウやサラの話しが、カミーユが自立してくれたおかげで、カミーユがフォウやサラを普通
に見つめられるようになったんですね
だから[恋人たち]というサブタイトルも伊達じゃなくって、[うわ〜よくやったわ]と感じました
つまりカミーユも恋人たちの一員になれる自然な流れが出来上がっていたんです
フォウとの[意識して少年から青年期へ移る恋]を通過したおかげで、コンテをまとめているときには
全然意識していませんでしたけれど
その後、恋をした経験者としてカツに対応しているカミーユの位置づけが、ぱっと上がっていたんです
フォウの事があった後でのカミーユが、サラとカツの関係.そしてレコアさんが裏切っていくという事が
暗黙の内に分かる青年になっているという目線で見られるのは、それこそカミーユがちょっとした青年の
窓口に来る行動様式を物語の中で進んでいるからで、僕はコンテ作業の段階でそれは当たり前だと思って
いたのは、あの[星を継ぐ者]があったからです
や
カミーユは成長しているわけですね
と
だからものすごく素直なフィルムになっているんだという事に初めて気がついたので、
劇場版Zは馬鹿みたいに見易いです(一同爆笑)
や
それはTVシリーズの時に無理矢理入れた物が、回りまわって良い複線になっていったという事ですか?
と
まったくおっしゃる通りです
良い複線にもなったし、TV版のカミーユは言っちゃえばこちらのメッセージドラマの狂言回しとしての
存在でしかなかったのですが[恋人たち]ではそういう物とは一切関係なく、ちゃんと自分で行動する
カミーユになっている
その事がもうひとつ明白に分かるのが、[星を継ぐ者]のラストシーンでシャアとアムロという他者を
認知した事です
や
あのラストのカミーユのセリフ、TV版ではないですよね
と
当ったり前だよ!
や
当時、カミーユはこんな凄い状況をアッサリ流してしまうんだっていう気分がすごくあって、
僕らはこの状況を凄いと受け止めてほしいと思っているのに、ああいうセリフが無いので話的にも
盛り上がらなくて、なんでああなってしまったのかと不思議だったんです
むしろ、何故、あの当時、あのセリフはなかったのですか?
と
内向している少年には、外界は関係ないんです
今回は普通の少年にするって言う風に考えたらああなった
そして、そういう前提があった上でシャアやアムロとかって言う存在を認知したって所で、カミーユの
気分が外に開いたんです
心が開いたからフォウをみたとき、ぽんと恋のドラマには入れるので、ごく自然に思春期の映画になって
いるんですよ
その上で、今度はロボットアニメとしての演出の部分も新作で加えている部分があるので…カミーユが
フォウの傍らで宇宙に飛び出していくっていう所はね、泣けますよ、テレビの比ではありません(微笑)
や
そういうことを聞いていくと[恋人たち]が早く観たくなりますね
と
[恋人たち]では…カミーユとフォウのこともあるけれど、ベルトーチカはそういう意味で捨てました
尺が足らないし、もうひとつ、どうも病人らしいという事が分かったので、彼女には深入りできなかった
それこそ健康的な娯楽映画を目指した為に、手に入れたのが、カツとサラのエピソードとレコアとシャア
のエピソード、一つは泣けるし一つは笑っちゃうと思います
サラっておそらくシロッコにもお尻を触られていないのに、シロッコの信奉者になってしまう馬鹿さ加減が
あって、アーガマのシーンが泣かすんですよ
あとサラの件に関してもっと重要なのは、彼女のエピソードが無ければ第3部にいけないんです
ですから、どうせ見直すという話しになるのなら、3部作品全部まとめて見直して頂きたい
ちょっとしたものになっていますから
レコアとシャアのエピソードに関していえば…[マディソン群の橋]を超えたかもしれない(一同笑)
や
その例え、凄いですね(笑)
と
[ガンダムでなんで??]って思うでしょう?ぜひ観て下さい
高松監督インタビュー(ガンダム部分のみ)
── 次の監督作品が『機動新世紀 ガンダムX』ですね。
(持っていた本を指して)この「機動戦士ガンダム大全集partII」で初めて活字になったんだと思うんですが、その前の『新機動戦記 ガンダムW』の後半で、高松さんは監督代行をやっていたわけですよね。(注10)
高松 そうですね。
私が(『W』を作っていた)1スタに呼ばれたのは、10月だったんですよ。
『ゴルドラン』の方は、ハメはずしてる頃ですね。すでに池田(成)監督は現場にいなくて、制作スケジュールが大変な事になっていた。
それで「なんとかしてれ」と言われて『ガンダムW』の演出面のサポートをする事になったんです。
脚本の方は、シリーズ構成の隅沢(克之)さんに作ってもらって、私は、コンテの発注やチェックをやりました。
── 『W』が終わって、『X』で監督をやられるわけですね。
高松 よく覚えてないんですけど、当時の自分に、もの凄い絶望感があったらしいんですよ。
サンライズ作品で監督がいなくなっちゃうっていうのは、作品の死を意味するんです。
サンライズっていうのは、監督の意志で作品を作ってるんですよ。
それなのに監督がいなくなっちゃうっていうのは、作品が死んだも同然。
私が『W』でやった事っていうのは延命措置なんですよ。
死んじゃ困るから、とにかく命を長らえさせる。
それは『W』だけの問題じゃなくて、『ガンダム』全体がそういう構造になっちゃってるのが、絶望的に思えたんじゃないかな。
今にして思うとね。
── 『ガンダム』というタイトルを、商業的に毎年作っていかなくてはいけない構造が、絶望につながってたわけですね。
高松 そんな明確な意図をもって『ガンダムX』を企画したわけじゃないんだけれども、その気分がもの色濃く初期設定に反映されてしまったんですよね(注11)。
テーマ的に言うと、「絶望の中の希望」なんですよ。要するに、『ガンダムX』っていうのは、昔の戦争があって、それを引きずってる人たちがいる。
だけど、新しいものはそこからは生まれないんじゃないか、という話で。
新しいものは、新しい人が作っていくべきものだ。その新しい人というのが、ガロード・ランという主人公なんですよ。
だから、『ガンダムX』の他の登場人物っていうのは、現実の世界でガンダムを利用している人たち、ガンダムを信仰している人たちの、メタファーなんです。今にして思うと、『ガンダム』っていうシステムにピリオドは打ちたかったのかな?
だけど、ピリオドを打とうとして、反対にピリオドを打たれてしまった、みたいな(爆笑)。
── それは打ち切りの事ですね?
高松 でも、最終回はイメージしていたものができたから、尻切れトンボになっているとも思わないし、話数が少なくなった分だけ凝縮して作ったので、削っちゃった話はないんですよ。
── 最終回の1回前についた予告がいいんですよね(注12)。
高松 そこまで客観的に語っていたのが、最終回の予告だけいきなり主語が「僕たち」に(爆笑)。
「僕たち」って誰だよ、みたいな(笑)。
── ピリオドを打つと言っても、作品の節々にファーストガンダムへの愛情みたいなものが、感じられたりするんですよね。
高松 『ガンダム』が悪いと思っているわけじゃないんですよ。
『ガンダム』は素晴らしい作品だと思うし、自分も学生時代に観て感動した。
仕事でもずっと『ガンダム』に関わってきて、愛着があるんで、変に茶化したりするのは嫌なんですよね。
そういう意味では本当に「ガンダムに魂を引かれた者」なんだな、と思いますね。
制作の途中で私が「ジャミルは俺だ」と言い出して、川崎(ヒロユキ)さんがひっくり返るんですよ(注13)。
なぜ、ジャミルがニュータイプを守ろうとしてんのか、と考えると、それは私が『ガンダム』を大事にしたいという気持ちの反映なんですよ。
自分が『ガンダム』という作品にピリオドを打とうとしてるのに、一方で『ガンダム』を守ろうとしてるという矛盾を自覚しちゃって。
だから、矛盾のままに作品を作っていくのがつらかったですね。
「あの作品の続編OVA」と同時に「某イベント用の単発アニメ」
■アニメディア
DESTINY
PHASE-34「悪夢」
デュランダルの放送を受けて、動き出したプラントとオーブ
そしてアークエンジェル。プラントを中心とした各国が動くなか、ミネルバには
ある任務が与えられていた。
PHASE-35「混沌の先に」
激しい戦闘の末、ミネルバに戻ってきたシン。ルナマリアたちに迎えられ、笑いながら
言ってきたシンの言葉に激昂し掴みかかるアスランだったが、レイに戒められる。
PHASE-36「アスラン脱走」
デュランダルの言葉に心酔するシンと、正論と認めつつも何か違和感を感じる
アスラン。デュランダルに感じていた違和感の正体に気付いたアスランは
ある決意をする。
PHASE-37「雷鳴の闇」
アスランと追うシンとレイ。レイとデュランダルの巧みな策略により
シンは完全にデュランダルサイドに取り込まれ、アスランを討ちに行くのであった!
OPとED変更は38話放送の7月9日から
【劇場版】機動戦士Ζガンダム-星を継ぐ者-166
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/x3/1118141244/
ガンダム歴代監督(富野以外)Part5
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/x3/1109167202/
デス種ネタバレスレ1049
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