05/07/18-23:16
まんがの森 富野由悠季監督「富野に訊け!」発売記念サイン会&トークショー:シャア専用ブログ
■まんがの森 富野由悠季監督「富野に訊け!」発売記念サイン会&トークショー
うpされた音声データを元に文字起こし。
http://s03.2log.net/home/char/blog739.txt
質問1つ目まで。
以下スレの書き込みに適宜句読点を加え転載。
入場前、軽い雰囲気作りであろうか新約Zの映像が少々流れ
音頭に乗った富野コールの中、半ば恥ずかしがるようにそそくさと御大登場。
冒頭よくやる軽口で、程よく場が和む。
今回のトークショーは、ほぼ全ての時間をこちらが提出した
アンケートの質問に対する応答で使われた。
司会が質問を読み上げ、御大が答えるという形式だ。
御大は質問を受け答えるときは、全て椅子から立ち上がり
会場の全員に満遍なく視線を配りつつ、思いの丈を語っていた。
質問内容・応答ともに記憶が完璧ではないので、かなり省略形・歪曲もあるかもしれんがご勘弁
録音はしてないです
質問1項目につきメモを1行書いて、あとはそれを頼りに
必死で思い出したのです
多分録音があるなら、この文章のあまりにもの違いっぷりに
笑うと思う(意味はなるべく近づけるようにしたけど)
1:2児の父になりました。親として子に伝えることとは?
私も2人の娘の父ですが、あまりいい育て方が出来ませんでした。
ですので、いいアドバイスはできません。すみません。
しかしながら、伝えることって本当にあるんでしょうかね?
常識というか、今現在正しいだろうと言われている・思われていることは
必ずしも、不変のものではないのです。
そして親が「孫の顔を見たい」子が「独身で自由に生きる」どっちもエゴのようなものなんです。
それでは言葉を交わしたとしても、上手くまとまることはまず無いでしょう。
そういう話で言えば、伝えるべきことなんて”あるわきゃ無い”んです。
しかし、たとえそうだとしても親であるならば、親として示すべき何かがあるのでは?
昔から…何千年・何万年と続いてきた、人類の歴史の中での何か…原理原則が
それはつまり、親は子を養うとき、養うということを一生懸命してみせることではないでしょうか?
親が遊んでいて、どこかからか学校に払う給食費が降ってくることは無いのです。
一生懸命働くなどして、生活基盤を整えてようやく出来ることなんです。
先ほど言った、”話して聞かせる”ではだめだと思います ”してみせる”んです。
そこまでやればあとはその子供の感性・品性の問題です。
あ・あともう1つ。子供が何か将来生きていくための目標を見つけ出して
それに向かって努力をするならば、親はやはり理解者であり、サポーターになるのが
よいのではないでしょうか?理解をする・静かに見守る、大切なことだと思います。
過保護なことは、すべきではないでしょう。
2:体が自分のものでは無くなる様な虚無感を感じるときがあります どうすればいいでしょう?
自分も感じたことがあります。今年だけでも2〜3回あるかも。
ですが…それを”考え”や”思い”で直すことはできません。
人間は思考をマイナスに持っていくことは、非常に簡単にできます。
だから考えるのをやめるんです 体を動かしましょう。
「人間は考える葦である」この葦の部分は”どうでもいいもの”と捉える人がいるかもしれませんがそうじゃないんです。
この言葉は現在のような「絵を描いて」「部屋でPCをいじくって」
生活基盤が保てる時代じゃなかったからこそ、意味があるんです。
何をするにも体を動かさないと、始まらない…そんな時代だったからこそ生きる言葉なんです。
現在のように部屋から1歩も出ずとも・机の上で手を動かすだけで暮らしていける時代に
葦のように身動きしなかったら、この方のように虚無感にとらわれてしまうのも
それはある意味道理なんです。人間は動物なんです。”動く物”なんです。これを忘れないでください。
水泳でもジョギングでも、ウォーキングでもかまいませんから、とにかく外に出て体を動かしましょう。
そして、体を動かすときには、動いている体(筋肉や肺等の内臓も含めて)をしっかり意識しつつ
動かすのがいいようです。一流の運動選手や歌手など、いろいろと話を聞くと
本当に自分の体に対する自覚が素晴らしいです。そしてその感覚をとても大切にしています。
体を動かすことがあまり無い方には、よく分からないかもしれませんが
こうまで自分の体の隅々まで分かることができるのか…と、とてもうらやましく思えます。
私たちは、そこまで体を使うプロフェッショナルではありませんから
そのさわりの部分だけでも、つかんでおくに越したことは無いと思います。
そうなることが出来たらしめたもの。もう体の虚無感なんて消えてしまうでしょう。
この質問 別の方のレポ
人間は動物、つまり動く生物なのだから、机や4畳半の部屋で座り込んで考え事を
していると死にたくなってしまう。悩んだらとにかく体を動かせ!
僕は週2・3のペースでスイミングに通っていたけれど、慣れるのに3年かかった。
3:結婚に諦めを抱くようになって来ました。でもホントは寂しいんです…。
その寂しいというのが重要なんです。恋愛をしてから結婚につなげていくという
現在の考えって、私に言わせれば、かなり疑わしいんです。
恋愛って「好き嫌い」でしょう? そんなものでこの後一生を共にするパートナーを
決めていくって考え方は、いけないんじゃないかって思います。
よっぽどうまくはまったカップルならまぁ例外として、好きといっても”他人”なんですよ。
毎日毎日365日顔つき合わせて、好きなままでいられるわけ無いんです。不満は出るものなんです。
でも人間だから、1人じゃ寂しくなる…そういうとこから考えていくべきなんです。
私の奥さんも、実を言うと好きなタイプ…では無いんです。
そしてそれを結婚する前に打ち明けました。「そういうわけなんだけど…でも結婚してくれないか?」
でも彼女はそれを了承してくれたんです。本当にありがたいことだと思います。
そうしてところどころ、お互いに不満を抱えつつも、長いこと暮らしていって
それからなんです、愛情っていうのが生まれてくるのは。
「あぁ、今日家に帰っても1人じゃない。寂しくならない。なんて素晴らしいことだろう」
世の中に完璧なまでに、”好き”を当てはめられる性格・品格ともに
最高の美男美女なんて、まず居ないんです。
だいたいが、ブサイクなんです。いい加減だったりだめな奴なんです。自分も、パートナーも、です。
それを両者が十分承知した上で、「こんな奴ですが付き合ってくれませんか?」と、いうところから始めて
3年ほど一緒になってみてください。不満は出るでしょう。我慢です、忍耐です。
それを積み重ねていったときに、初めて生まれてくる連帯感みたいなものが
やがて愛情になったりするんじゃないでしょうか?大方はそんなものだと思いますよ。
だって、考えてみてくださいな。”好き”の理由だけで結婚や家族が成立していくのなら
日本はこんなに人口増えませんでしたよ(笑)
4:母を亡くし父が再婚することになりました。でも…仲良くしていく自信がないです。
”仲良くしていくべき”という義務感が強いみたいですが
それにこだわる必要は、無いんじゃないでしょうか?
先ほども言ったように、親と子でも考えはかなり違うものなんですから
親の考え・状況に強制的に従うよりは、むしろそれを回避して
自分の生き方を大切にする…という方向に持っていくほうが
建設的で、心も穏やかでいられるのではないでしょうか?
あと…”再婚をした”ということに恨みの感情を抱くことは
気持ち的に分からないではないんですが、出来ればやめてください。
人というものは、時に恨みの感情が湧いてくる事もあるでしょう
私だって恨みのある人はいますよ。西崎とか宮崎シュンとか…(笑)
まぁ私の場合は社会的なものであって、この方のような肉親関係の恨みとは性質が違いますから
冗談で言えるんです。この話の中では関係ありません(笑)
しかも私には再婚暦が無いため、あなたの気持ちを正確にわかってあげられてないかも知れません。
そこは、申し訳なく思います。
しかし…これは覚えておいてください。人を恨めば、いずれそれは自分に帰ってきます。
私の親族間のことですが、揉め事があって、そのとき恨みや妬みに憑りつかれた
ような人は、その後決していい人生を送っていません。
それから、こういうことも言いたいです。あなたがもし実母の立場の代理として
そういう恨みの感情を抱いたとして、亡くなって天から見ているあなたの母親が
そういう風なわが子の実情を見て、喜ぶことなどありはしない、ということです。
他の人のレポ
「僕でいえばヤマトの西崎【呼び捨て】を恨んでます!宮崎シュン【本当にこう発音した】も敵だ!」 (顔は笑っている)
5:仏教的思想のある作品をお見受けしましたが 仏教に関してはどんな見解をお持ちでしょう?
うーん…確かに、そういった設定を使わせてもらったのはそうなんですけど
仏教を慮って…という訳ではないんですよね。
そういう意味で言えば、今後そういった思想を作品にポーンと
持ってくることは無いかもしれません。
どういうことかというと、最近思うようになってきたのは
宗教にしろ国家の主義にしろ、現在それらが人を導くものとして捉えられている認識が
本当に正しいのかどうか…というところに疑問を持つようになってきたからです。
昔は国も何も無かった。人は生きるために自由に渡り歩いていた。
いつしか人は定住し始め、自分たちの住む土地の線引きを始めた。
そうして国が出来、やがて国と国が争うようになっていった。
その後に出来たのが宗教で、それが人を救うものだと信じられ、崇められてきた。
しかし…そのころから2000〜2500年たった今はどうでしょう?
たとえば日本は、中国や朝鮮と竹島や海底油田のことで、いつまでたっても折り合いがつかず
イスラム原理主義は、とうとうイギリスのど真ん中で、テロをやるまでに発展している。
国の主義などとかっこつけてみたところで、そんなものは人の欲の集合体に過ぎないのではないか?
宗教にしても、自分にとって何の恨みも無い人たちを自分の命を懸けてまで
もろとも消し飛ばし、それで救いが来ると信じることが出来るのも
どう考えてもおかしなものだと、言わざるを得ません。
(洗脳等の問題もあろうが、歴史的に見れば、宗教が絡む争いごとの数の多さは無視できない)
2500年たった今、人間たちはそろそろ今までの主義であるとか、宗教であるとか
そういったものでは、争いをなくすことが出来ないことに気づくべきではないでしょうか?
この2500年を人類にとっての幼年期とし、これから成人していくために
私たちが、新たにそれらを超える何かを生み出していかなければならない時代が
訪れてきたのではないでしょうか? いろいろ葛藤もありましょう。挫折もありましょう。
ですが、それをやらないことには、人類に明るい未来が見えることは
到底ないだろうと無いだろうと考えます。それは寂しいものです。
そういう意味で言えば、私がニュータイプを生み出すことが出来たことは
とても幸せだと思います。争わないで済む人間…近い未来には無理でしょうが
そういった希望のようなものを作り出すことが出来て、本当によかったです。
6:作詞についてはどのような考えをお持ちでしょうか?
作詞については…それを始めたのが、アニメの主題歌を
ただ単に”アニメのときにかかる歌”で終わらせたくなかったために
何とかしてやろうと始めたのが、きっかけなんですが…。
言葉をうまく使えない不甲斐なさを作詞をするたびに、思い知った気がします。
気をつけていたことは、その歌詞のなかに何か光るもののある
興味を持ってもらえそうなフレーズを入れることは必要だろう…
等と考えつつやっていましたが、本当の作詞ってそんなもんじゃないんです。
作詞家の方と話をしたこともありますが、もっと感覚的に鋭いというか
飛びぬけているものがあるんです。そこは絶対真似できないだろうな、という感じを受けました
詩の朗読等もなさるようですが、「そういう時は靴を脱いで裸足にならないと朗読は出来ない」
という話も伺いました。本当は服も着ていたくないらしいですが
そこはそういうわけにもいかないので(笑)
まぁ、それだけ自分の感性を鋭く保つ努力をしているということです。
では感覚が優れていればそれでいいのか?というと、そういうものだけではないのです。
たとえば有名な阿久悠さんは、ものすごく多角的に世の中を見つめ
非常に論理的な詞の構築をなさっています。作詞をするというのは
そういうアプローチの仕方も、あるということです。
とにかく自分では、まだまだ到底及びもつかない…そういうことです。
7:Ζ新約の小説はお出しになるのでしょうか?
端的に言いますと、”書かない”ではなく”書けなく”なりました。
先ほどの作詞の話もそうですが、言葉の使い方の不器用さを思い知って
筆を進められないんです。
昔小説のようなものを書いていた時期もありますが、それは
勢いに任せて、ダーッとやっちゃって
この怖さを知らなかったからです。まさに”若さゆえの過ち”です(笑)
他の話題
・女性のサインのときだけ目を開いて男性のときはまぶたを閉じていた。
・すでにΖの仕事は終わっているらしく、「今は物理的に忙しいので〜」と言っていた。
サイン会の模様は8/10頃の月刊アニメージュTVで放送予定。
参加者さん、ありがとうございます。
【斧谷稔】大富野教信者の会part16【井荻麟】
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/x3/1119460918/
【劇場版】機動戦士Ζガンダム-星を継ぐ者-217
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/x3/1121497311/ より。
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